感じたこと考えたこと

1.本にも色々な巡り合わせがあって面白いと感じるときと感じない時があるというよくある言葉を実感した。出口汪さんの考える力をつける本の中

にあった、記憶することはそもそもかなり難しいことなんだから、

すぐ忘れてしまうものなんだから、

誰でもそうなんだから、

簡単に覚えられないからと言って、嘆くのはやめようみたいな趣旨があってその通りだなと感じた。

あと

佐藤信夫 レトリックを少々から

「私たちはいつも、同じものに対し、同じ表現をする。コインは丸いし、受験生は暗いものだし、恋はバラ色なのだ。だが同じ表現をするということは、いつも同じ角度からものを見ていることに他ならない。

するといつも同じ部分が死角となって、目に入ってこないのだ。

コインは真横から見れば四角形だし、受験生ほど生き生きと人生を送っている人はいないし、本当の恋は地獄なのかもしれないではないか。

そこで、あるとき、いつも見ているものや情景を言葉を変えて表現してみる。これがレトリックである。すると同じものでも、みる角度を変えることによって、いままで目に入らなかったものが見えてくる。まさにレトリックは創造・発見の方法である。」


トイストーリーのおもちゃからの視点というのもレトリックなのかと考えると身近にあるものを色々な視点から見ることによって、考えというのは膨らんでいくのだなと感じた。


2.職場の同僚の東大卒と阪大卒と神経衰弱をした時に勝った。それは覚える物事を減らしたからで全て覚えようとしなかったから勝てたのだ。これが選択と集中なのかもしれない。

本を読むのもこれと同じことなのかもしれない。本を読んで全ての物事を理解して覚えようとするなんてそもそも傲慢でそんな能力はない。

だから重要な部分だけは必ず覚えるようにしてそれを人に話せるレベルにする。

それが知識を得ることなのかもしれない。


3.哲学について最近勉強している。

勉強といっても単純に面白いから読んでいるだけだが、本当に面白い。人を廃人にしてしまうような恐れがあるレベルだ。


ソクラテスの善に対する疑問。

なぜ技術者と呼ばれる人がいて、例えば医者なら医学というものがあるのにもかかわらず、なぜ人の善さという善に関する技術者がいないのか。

ソクラテスはカイレポンがきいた神託を疑う。俺が本当に1番賢いのかを聞いて回る。

偉いと言われている人たちに質問をする。


そうするとこういう人たちは自分がいろんなことを知っていると思い込んでいることに気づく。ただしソクラテスは自身が重要な魂の在り方ということを何も知らないということを知っている。そこで無知の知に気づく。


本当の勇気とは何なのか?勇気とは何か。

これがプラトンイデア論につながる。


線というものを頭で描けるが書いて見てくれと言われたらかけない。なぜなら線を書いた瞬間に線には幅が存在するからである。それは長方形で線ではない。

本当の線というのが存在するとプラトンは考えた。


ソクラテスは馬。


本物の母とか本物の息子が存在するのか。そもそも本物の人間とはどういうもの??完璧なもの?それとも愚かな部分も持ち合わせている人?


世界15大哲学


哲学と神学と科学とか学問は全ての底でつながっているのだと感じることができて非常に楽しい気分になる。


フェルマーの最終定理をといた、